うつくしく、さみしいお話である。

散在ガ池の浅沼に住む、河童の八寸。
八寸には父と母と、きょうだいがいた。
ある日きょうだいの六寸と七寸が引き起こした大騒動で、八寸は浅沼にたった1人取り残され、孤独な日々を生きることを余儀なくされる。

河童の長老に、猫になって人間世界で修業をすることを命ぜられた八寸は、母親を亡くし、父親と二人で暮らす小学四年生の少女、麻に拾われる。

夏の物語なのに、吹いている風は夕方の匂いがするようだ。
汗ばむ太陽の光ではなく、しんと静まった月の光。

母親を亡くし、悲しみに感情が凍り付いた時間が続いたある日、麻は、夜明けの風景の美しさにうっとりする。
しかしそこで、
「悲しかったはずなのに、どうしてきれいだと思うんだろう」
「きれいだということはお母さんが教えてくれた。自分がきれいだと思うものは、お母さんが教えてくれなかったらきれいだと思わないのだろうか」
自分が感じた美しさは、本当に自分が感じたものなのだろうか、と疑問に思ってしまう。
それから麻は、自分が感じることが本当のものなのか、わからなくなってしまう。

うつくしく、さみしい。
孤独、と言う言葉がぴったりの物語。
しかしけしてつらいストーリーではない。
物語は胸に満ちる感動で終わる。

この胸が震えるような気持ちは、私が大人だから感じるのだろうか?
子供達が、例えば思春期に足を踏み入れたような、小5くらいの子供達でも麻と八寸のまっすぐさに打たれるだろうか?

自分が子供で、この物語を読んだらどんな感想を持つのだろう。

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