信田さよ子が好きだ、と言ってしまったらおかしいが、このきっぱりとしたものの言い方、ねちねちしていない、目的がはっきりしている生き方がすごくすてきだ、と思う。

私が育った家庭は、虐待とは無関係だ、と思いたいが、気がついた頃から、生きづらいなあと感じていた。
祖母は非常に厳しく、父も母も私たち孫も、みんな祖母の支配下にいた。
少なくとも私はそう感じていた。
それが虐待とは思わないが(なにしろ明治の人だし、子ども5人を女手一つで育て上げた人だから、厳しくないわけがないのだろう、今思えば)、私の自己評価の低さ、過剰に適応しようとしたり、責任を取ろうとしたりする態度は、自分でも疲れる。
スタンダードになれない、100人いたら95人の中に入れない、これはどこからくるのか、39歳の今も不思議だ。

この本の中で、何が一番おもしろかったかと言えば、

「底をつく」

と言う話。

 アルコール依存症の治療において、「放っておけば本人が勝手に底をついて回復してゆく」と言う考え方。

ああ、そう、そうなんだよ、これずっと思ってた。
だけど、ただの素人が言っても説得力がない気がして、ずっと言えなかったのだ。

義母は数年前、自傷した後にICUで誤飲性の肺炎で亡くなった。
自傷した義母を見つけ、救急車を呼び、その後のゴタゴタを経験した夫の鬱は、1年以上かかって回復した。

夫の、幼い頃からのためにためた怒りや、悲しみや、情けなさ、その他のたくさんの感情が、底をつくまで1年かかった。
その間、経済的にも逼迫したし、未だにその影響はある。
けれど、20代から長いこと神経科のお世話になり、躁も鬱もいやというほど経験し、私と結婚して子どもが出来てから薬のお世話にならないようになっていた夫は、精神安定剤も抗鬱剤も抗不安剤も飲まず、嵐のような感情の起伏を味わうだけ味わって、そして戻ってきた。

これをうまく説明することがいつも出来なかったのだが、そうだ、底をついたのだ。
行くところまで行って、底をつくことが出来れば、戻って来れるのだ。

ただ、底をつくまで、回りの人間は、明けない夜の中でひたすら待たなくてはならない。
不安と、焦燥感と、言うに言われぬイライラとを抱えながら、底をつくのを待つのはつらい。
経済的に余裕があればまだしも、何の保証もない自営業、まだ幼い子どもを二人抱えて、先が見えずにつぶれそうになることもある。

そんなことを、この本を読んでいたら思い出した。
それからもっとたくさんのことをいろいろと。
まあそれで落ち込んだりしない、引きずられたりしない、自分は年とってエラくなったと思う。

ISBN:4062110717 単行本 信田 さよ子 講談社 2001/12 ¥1,680

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