「稲の旋律」

2008年2月13日 読書
どん太さんのところでレビューされていたこの本。

読みながらの感想は、「初めての人にそんなに長々と自分のことを書くか! キモっ」でありました。
往復書簡で、実際に会った時のこともつらつらつらつら書くか? 誰かに読ませること前提か?
これは読み終わってもやっぱりちょっとなあ、と思う。
だって、手紙だよ。
第三者に書いているんじゃなくて、当事者同士なのになんでそんな説明文。

しかし、読み進めていくうちに、どんどんその手法に引き込まれていく。

なぜなら、私も主人公の千華と同じように、「途中で投げ出して逃げ」たことがあるからであり、それは「いい子でいることに限界を感じた」からであり、「祖母を恨み、親に自分の気持ちを理解されないことに怒りを感じがことがある」からだ。

引きこもりだった主人公が変化していくのは、つまずいてもいい、立ち止まってもいい、失敗してもいい、と理解していくから。

最後は感動の余り、涙目になってしまった。
こんなふうに、誰かを理解しようとし、理解され、心に働きかけ、働きかけられるのはなんて羨ましいことだろう。

他人に腹を割って自分を理解してもらいたいという欲求を素直に出せず、恥ずかしい思いのほうが勝ってしまうからか、私は母に自分の思いをぶつけたことも、理解しようとしたこともない。
気持ちが楽になったのは、親が私を理解してくれることを「あきらめた」からだ。
わかって、理解して、私が考えていることを知らなくても理解して、うんお前はそれでいいよって言って! と心の中では常に叫んでいたような気がする。

あきらめてからはとても楽になった。
しかし時々、小さな私が出てくる。
気楽に可愛がられていたように見える、6つ下の妹に関する時。

きょうだい関係は難しいね。

ISBN:4406028781 単行本 旭爪 あかね 新日本出版社 2002/04 ¥1,890

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