私がよく行く図書館に、「市内の他の図書館の蔵書ですが返却されましたので貸し出し出来ますよ読みたい方どうぞ」コーナーがあります。

返却したあとそこをのぞくのが楽しみで、よく見るのですが、
この「呪いの研究」を筆頭に、「江戸呪術教本」だの、「呪い」とタイトルに付く本が5冊ばかり並んでいた。

どんなメンタリティの人がこれを借りたのさ!
とゾクゾクしながらぱら見して、唯一おもしろそうだったのがこれ。
「江戸呪術教本」は、江戸時代の、呪法が書かれた本、丸ごとハードカバーになっている。ほとんどコメントや傍注もなし、これを読み解く力がある人はかなり江戸時代の文章に慣れている人だと思う。
ほとんどが学術的な呪いの本だったのだが、もしかして本当に誰かに呪いをかけたくて研究したりしてたんだろうか。

さて、これはカール・セーガンと対極にあるような本でした。

かなり、おもしろかった。
アマゾンのレビューを見ると、話題になった本だったのですね。

たつみや章の「月神の統べる森で」から始まるシリーズ4冊の中に、縄文時代に生きる主人公ポイシュマたちが、少年たちの間から旅に出る面々を決めるために引いた籤を、神聖な、神託として考えているシーンがあって、「籤」「占い」がどれだけ重く見られていたのかに驚いたことがありました。
だって、籤で引いて決まったメンバーなんて、替えたっていい気がするし。
ところが、ポイシュマたちはカムイからの言葉として、とても重く受け止める。

「呪いの研究」で、現代に生きる私たちが、占いの結果を気にしたり、心霊現象を信じたり、と言うのは、縄文時代から連綿と続く、「目に見えないものはある」「カミを畏怖する心」「森羅万象に神は宿る」と言う考え方が、未だ心の中に強く残っているからなのではないか、と言うようなことが書かれてあり、ものすごく腑に落ちた気がしました。

まるっきり関係のない分野の本を読んでいて、こう言う繋がりを見つけると興奮しますね。

ISBN:4901510150 単行本 中村 雅彦 トランスビュー 2003/04/20 ¥2,520

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