うわさの人物―神霊と生きる人々
2007年5月28日 読書
今朝の新聞広告でも出てました。「うわさの人物」
これ、とてもとてもおもしろいのでぜひ。
興味のある方ぜひ。
「霊能者」と呼ばれる複数の人物に、加門七海がインタビューしたもの。
おもしろいのは、「私は霊能者じゃないんですよ」と言う人が多い点か。
加門七海が「霊能者」をピックアップする際の条件は、「出来ないことをちゃんと出来ないと言う人」だったそうだ。
何でも出来ます、アレもやりますこれだって出来ます過去見ますよ前世わかりますよお祓いだって出来ます除霊もやります万能です、と言う人は信用ならない、と。
たしかに、対談中、「私は見えないんですよ」「私はわからないんです、その力がないので」と言う言葉がずいぶん見られた。
「私、オーラって見えないんです」と言う女性の言葉は、私の目の鱗をはぎ落とした。
なんか、オーラって見えなきゃいけないようなもののような気がしませんか?
私も全くわからないので(霊感ないし)、「紫色に金色が混じってる」なんてテレビの言葉を聞くと、へええ〜と思い、オーラが見えるようになるなんて本を書店で見かけると、見えるようになったりするのかしらなんて思うのだけど、「霊能者」と呼ばれる人も見えないんだ! じゃあ私が見えなくったって当たり前なんだ! と、一種の安心感と言うか、そう言う気持ちを味わった。
スピリチュアルだとか、オカルトだとか、目に見えない世界に少しでも興味のある人は、「オーラは見えるもの」→「オーラが見えるって力があったら素敵」→「オーラが見えたら力があるって証拠」ってな具合に気持ちがどこかで動くんじゃないだろうか。
本当に力のある人はそんなことをのぞんだりしないはずなのにね。
私にとってこの本の何がおもしろかったかと言えば、
自分(蜜柑)が探していた信仰心や宗教観の言葉で説明出来ないよりどころを、言葉で説明出来る人がいるのだ、と言うところだろうか。
インタビューされた人たちは皆真摯だ。
常人には見えないものが見え、それは信じる信じないではなく、「ただある、存在している」モノであり、だから信じるも信じないもないのだと言う、単純な、しかし太い柱が通っている。
私は結局、自分の中の宗教観や信仰心を言葉にするため、それから曖昧なままのそれら(宗教観や信仰心)を一度きちんと確認するために、本を読み続け、実家の地域の風習や自分を形成している幼児期の宗教行事などを考え続けるだろうと思う。
これは一つの「自分探し」でもあるし、キリスト教系の信者であった義母の下血入院時の「輸血されたら天国へは行けないと信じている人への輸血は魂の殺人になるのではないか、しかしそれで義母が亡くなったら私たち非信者は気持ちの整理を付けられるのか」と言う葛藤、それから自傷事件から突きつけられた、「宗教は個人を救えないのか」の答え探しでもある。
大きな課題を抱えて、答えは出ないかもしれない。
でもやはり読み続けるだろうし、考え続けるだろう。
ISBN:4087748324 単行本 加門 七海 集英社 2007/04 ¥1,680
これ、とてもとてもおもしろいのでぜひ。
興味のある方ぜひ。
「霊能者」と呼ばれる複数の人物に、加門七海がインタビューしたもの。
おもしろいのは、「私は霊能者じゃないんですよ」と言う人が多い点か。
加門七海が「霊能者」をピックアップする際の条件は、「出来ないことをちゃんと出来ないと言う人」だったそうだ。
何でも出来ます、アレもやりますこれだって出来ます過去見ますよ前世わかりますよお祓いだって出来ます除霊もやります万能です、と言う人は信用ならない、と。
たしかに、対談中、「私は見えないんですよ」「私はわからないんです、その力がないので」と言う言葉がずいぶん見られた。
「私、オーラって見えないんです」と言う女性の言葉は、私の目の鱗をはぎ落とした。
なんか、オーラって見えなきゃいけないようなもののような気がしませんか?
私も全くわからないので(霊感ないし)、「紫色に金色が混じってる」なんてテレビの言葉を聞くと、へええ〜と思い、オーラが見えるようになるなんて本を書店で見かけると、見えるようになったりするのかしらなんて思うのだけど、「霊能者」と呼ばれる人も見えないんだ! じゃあ私が見えなくったって当たり前なんだ! と、一種の安心感と言うか、そう言う気持ちを味わった。
スピリチュアルだとか、オカルトだとか、目に見えない世界に少しでも興味のある人は、「オーラは見えるもの」→「オーラが見えるって力があったら素敵」→「オーラが見えたら力があるって証拠」ってな具合に気持ちがどこかで動くんじゃないだろうか。
本当に力のある人はそんなことをのぞんだりしないはずなのにね。
私にとってこの本の何がおもしろかったかと言えば、
自分(蜜柑)が探していた信仰心や宗教観の言葉で説明出来ないよりどころを、言葉で説明出来る人がいるのだ、と言うところだろうか。
インタビューされた人たちは皆真摯だ。
常人には見えないものが見え、それは信じる信じないではなく、「ただある、存在している」モノであり、だから信じるも信じないもないのだと言う、単純な、しかし太い柱が通っている。
私は結局、自分の中の宗教観や信仰心を言葉にするため、それから曖昧なままのそれら(宗教観や信仰心)を一度きちんと確認するために、本を読み続け、実家の地域の風習や自分を形成している幼児期の宗教行事などを考え続けるだろうと思う。
これは一つの「自分探し」でもあるし、キリスト教系の信者であった義母の下血入院時の「輸血されたら天国へは行けないと信じている人への輸血は魂の殺人になるのではないか、しかしそれで義母が亡くなったら私たち非信者は気持ちの整理を付けられるのか」と言う葛藤、それから自傷事件から突きつけられた、「宗教は個人を救えないのか」の答え探しでもある。
大きな課題を抱えて、答えは出ないかもしれない。
でもやはり読み続けるだろうし、考え続けるだろう。
ISBN:4087748324 単行本 加門 七海 集英社 2007/04 ¥1,680
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