しいちゃん日記

2007年3月23日 読書
群ようこの飼い猫、しいちゃんに関するエッセイ。

マンションのお隣に住む、シャム猫のビーちゃんは老猫である。
読んでいて、老猫がいるうちにもやがてやって来るであろう、実は徐々にやって来ている、介護生活に思いをはせてしまった。

つい先日、推定16歳のシン(♂)の具合が、いきなり悪くなった。
ご飯を食べない。
毛がぼさぼさになった。
目やにがひどい。
すごくだるそうだ。
立て続けのくしゃみを繰り返す。
吐く。

年を取って、寝ている時間が長くなったとは言え、顔つきを見るとまだ少年のような猫である。

夫とともに、「こりゃマズイ」と言う不安だけがつのって、落ち着かなくなる。

病院に…と思っても、シンにとっては病院に行くこと自体がストレスになる。
病院に行く前に、カゴに入れられると、もうダメなのだ。

もし万が一、本当に手を尽くしても、病院に行ったことでほんにんの気力が萎えて、そこで手の施しようが無くなったらどうしようとも考えてしまう。

とにかく話しかけ、撫でてやり、子供たちにも優しく触れるよう、無理矢理抱っこして歩かないよう(特に次女)言い聞かせていたら、次の日には回復して缶詰めも食べるようになった。

飼い猫が長生きして、少しずつ老衰すると、どうしてやるのがいちばん良いのか、わからなくなることがある。
家族の一員だから、もちろん手を尽くしてやりたい。
けれど、なにに増してのストレスを与えることは、シンにとっては負担ではないだろうか?

昔の人が、自宅の、自分の布団で亡くなったように、シンもそうやって、家族の中で、ストレスになることを与えずにその時を迎えさせてやるのがいちばんなんではないだろうか。
うんとうんと先の話だとは思うけれど、飼い主の心としては、まだ揺れているところだ。

そう言えば、「シッポがともだち(7)」での、カッチーとの悲しいお別れのお話でも、同じことを思った。
病院に連れていくことが、老いた猫にとっては良いことなんだろうか? と。

シンは元気になり、4歳の次女に、「シンー、おねえちゃんがだっこしてあげるからねえー、おねえちゃんといっしょにあっちいこうねえー」と言われたりしている。
私は「誰がおねえちゃんやねん」と心の中でツッコミを入れているが、シンは自分よりもずっとずっと後にやってきた次女に対しても「しょうがねえなあ」と言う顔をしながら付き合っている。

足がおぼつかなくなっても、好き嫌いを言っても、シモ爆弾を落っことしても、あちこちに吐いてもいいから、どうか長生きしておくれ。

ISBN:4838716710 単行本 群 ようこ マガジンハウス 2006/04/20 ¥1,470

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