家のロマンス

2007年3月19日 読書
検索かけたらこの本以外がほぼハーレクインロマンス(笑)
一瞬びびりますね。

いやあ、ものすごく、おもしろかった。
既視感に襲われたのは、義母を彷彿とさせたからだ。
この本は、ある屋敷に住む祖母と孫娘の視点で描かれている。
一部が祖母で二部が孫娘。
金持ちの浮世離れしたお嬢様が結婚して子を生して年を取るとこうなるのだろうか?

義母とは、私の祖母と言ってもいいくらい年が離れていた。
渋谷生まれ渋谷育ちの義母の父親と言う人は、財閥系企業の重役だったそうで、重役以上のみが使用出来る迎賓館のような洋館で、子供の頃の私の夫が、坊ちゃん刈りにスーツを着て、義祖父以下一族の食事会に出ている写真を見せられたことがある。
義母は嫁に行った娘ではあったが、一族には変わりなかったのだ。

義母は7人きょうだいの下から二番目で、娘としては一番下だった。
そのせいか父親にかわいがられ、非常にお嬢様だったようだ。

義父と結婚した義母は、平穏な結婚生活を送らなかった。
しかし、最後の最後まで義母は自分が自分であることを貫き通したし、「家のロマンス」の一部の「私」(祖母)のように、最後まで家族を巻き込まずにはいかなかった。

話は変わるが、「家」と言うものが持つ意志のようなもの、を私も感じることがある。

今住んでいる家は、古い住宅街の中の一軒だが、昭和50年代に建てられておりけして新しくはない。
このところ立て続けに、同じ頃か少し後に建てられたとおぼしきお宅の玄関先で立ち話をする機会があったのだが、その中の三軒が、ほぼ同じ間取りの入り口であった。
玄関に向かって立つと、左手に居間に通じる扉があり、正面は廊下が延びて階段に通じ、その階段は┓字に曲がって左手に消えている。
たぶん、この辺りの古い家はほとんどが分譲ではないから、その頃建てられたスタンダードなのだと思う。

そしてその頃建てられた家にしては、今住む家は非常に変っている。
間取り自体もそうだ。
この家は、私たち家族で三代目だが、二代目である売り主もちょっと変わった職業だった。
一代目は、この家を建てた工務店の社長だそうだ。

この家が売りに出された時、不動産屋が「こんなにお宅の出す条件に合う家ないです」と言って電話をかけて来た。
値段が折り合わなかったのだが、見るだけ見てみよう、と見に行った。
正直なところ、手の届く値段ではなかったのだが、ダメ元で話を進めてみたところ、あれよあれよと言う間に決まってしまった。
売りに出されてから、この家を見に来たのは私たちが初めてで、私たち以降誰もいない。

見に来てから本決まりになったあと、まるでこの家に呼ばれたようだ、と思ったことがある。
住み始めて3年になる今でも思う。

夫にその話をすると、「家も住む人間を選ぶんだろう」と言う。
そうなのかもしれない。

縁あって出会い、住み始め、少しずつ変化しながら、この家で年を取っていくのだろう。

そう言えば、ほぼ新築の家を買った友人は、引っ越しして早々「なんだかこの家にはあんまり長く住まないような気がする」と言っていた。

そう言うのは何なのだろうか。
もちろん友人一家はまだその家に住んでいるし、その印象が今も残っているかはわからない。

「家のロマンス」は、家に意志を持たせ死んでいった祖母と、その呪縛を少し離れたところから見る孫娘の視点で描かれている(自分ももちろん呪縛に影響されている)が、本当の主人公は祖母の次男の久男である。

住む人のいなくなった「家」はたちどころに荒廃し朽ちてゆく。
さして手入れをしないような住人であったとしても、家は人が住む限り生きている。

「家」と言うものに最近とみに興味がある私にとっては非常におもしろい物語だった。
そう言えば、人と言うのは、墓参りに行くとやはり記念写真を撮りたくなるものなのだろうか?
富士の裾野の広大な墓地で、義母の納骨の時に記念写真を撮った。この本の中の家族のように。
読みながら、霧にまとわりつかれ、寒さに震えながら広い山の斜面の墓地の中を歩いたことを思い出した。きっとこれは同じ墓地だ。
つい2年ほど前に経験したことが本の中に書かれている。

これもすごい既視感だった。

ISBN:4103452080 単行本 加藤 幸子 新潮社 2006/11/29 ¥1,470

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索