拾う神もある

2004年6月21日 日常
すごく、先様の気持ちが嬉しかった。

引っ越しに向けて、シュレッダーを買った。
段ボールに詰め込まれている、10代の頃からの手紙の山を処分したかったのだ。
大きいサイズもへいちゃらで細かくしてゆくシュレッダーくん。
クロスカットしてくれて、本当になにが書いてあったのかわからない。
素晴らしい。
電動のを買ってよかった。
クロスカットのを買ってよかった。
大きいサイズもOKのを買ってよかった。
これで処分方法に困っていた請求書なんかもばさばさ捨てられるよ!

そしてその手紙の山なのだが、なるべく見ないように気をつけながらシュレッダーにかけている。
そうしないと、つい読んでしまうからだ。
読んでしまって、自分の若さと痛さに身悶えしてしまうことになる。
ただでさえ痛かった自分、もちろんこちらから送った手紙は手元にはないが、痛かった自分が送った相手も十分痛かったりするのだ。
封筒に入ったままだとシュレッダーが壊れるので、封筒から手紙を出し、別々に細断する。
見ないようにしても時々目に入ってくるあれやこれやな文章。
名前や存在自体を忘れていた友人達。
なんだかそれを処分してしまうと、その人達も私の人生からいなくなってしまうような気がして、胸が痛みはじめる。

すっかり忘れていた、友達とのいざこざ。
もう何年も連絡を取っていない。
取れない。

手紙を1/6も処分できないうちに、シュレッダーが熱をもって止まってしまった。
そうこうしているうちにひよ子が昼寝してしまい、はー子も幼稚園から帰ってきてしまい、続きはまた明日だ。

…明日もこの身悶えするような感情と対面するのか…。

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