昨日書いた話だが

2003年7月7日
冷静になってよく考えると、なにがそんなに腹ただしかったのか、わかってきた。

たぶん、言い方とその理由に腹が立ったのだ。
例えば相手に赤ちゃんがいて、

「赤ん坊がいるので端っこに座りたいので変わってもらえますか」

と言われたなら、ハイ、どうぞどうぞ、でなにも遺恨を残さなかっただろう。

「うちが座るのが当然。だって、端っこだと思って座ってたんだから」という言い方だったから腹が立ったのだ。

本当のところ、ビデオなんて席で撮らなくてもいいのだ。場所が悪ければ、最初から立ってればいいのだし。もともとそのつもりだったのだ。当てつけのようなことを口にしてしまったことが、今になると恥ずかしい。

文字通り頭に血が上ったわけだ。

 
 
 
 
 
 
気分を変えて。

ひさびさに、別冊太陽を手にした。「陰陽の世界」
卜占(ぼくせん)の呪術ということで、日本の年中行事と卜占をを一月から十二月まで。
綴られた言葉から、なんだか記憶にあるような「匂い」の文章だな、と思った。

 構成 西川照子

と、表紙に書いてある。

にしかわてるこ、にしかわてるこ、と頭の中で唱えて思い出した。
先日、ものすごくおもしろい、と、前にここで書いた白川静と梅原猛の対談を纏めた編集者じゃないか。
対談の、注釈に、「二人への深い理解と愛」を感じて、どんな人が書いているんだろうと奥付を確認したので記憶に残っていたのだった。
あの編集者だ。
民族学を愛する人というのは、対象への溢れんばかりの愛を言葉に盛り込んでしまうのか。
 


おまじないとは詰まるところ、「呪」である。

「結ぶ」と言う行為が「呪」であるとはしらなかった。

千人針が、「結ぶ」行為を繰り返して呪力を高めるまじないであるとは知らなかった。
戦場へ赴く男への、おまもり。

 
言葉を口にすることでそれは力を持つ。
言霊というものがあるならば、負の言葉は口には出すまい。
 
 
なるべく。

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