日記を書くことは私にとって、
2001年7月17日えぇと、これは私にとってはリハビリなのかな、と思いました。
「こういうことを話しても大丈夫そうだと思った人に、重い話をしてしまって、後で『ああー、あんな話してしまってきっと嫌われた』と繰り返し後悔する自分」のリハビリです。
私は20代の前半に、ひどく精神的に不安定になり、その頃通っていた看護学校のスクールカウンセリングで、「ここではあなたの苦しみをとってあげられないから、専門のところに行きなさい」と言われ、神経科に通うようになりました。
その頃の診断名は「不安神経症」。
今ならば、パニック障害とか診断されるような症状もありましたが、とにかく不安で不安で、いつもなにかにおびえていました。
人の目が恐い。
人の流れが恐い。
遠くを走る救急車のサイレンに不安をかきたてられていても立ってもいられなくなる。
眠れない。
喉がいつもなにかに締めつけられるような気がする。
カウンセリングと投薬を受けていましたが、親が私をとてもとても恥じて、私はものすごい劣等感も抱くことになりました。
苦しかった。
孤独で、そして本当に苦しかった。
10数年前、インターネットやもっと他の人と交流を持てる場所があれば、私の治りはもっと早かったかもしれない。でも、パソコンすら一般的ではありませんでした。
だから、本当に楽になるまで、5年以上かかりました。
私が不安定になりかけた頃に、今の夫と出会いました。
鬱病と不安神経症のカップル。周りから見たらもう、薄氷の上を歩いているようで、危なっかしくてたまらなかったでしょう。
親なんか、大反対、私が不安神経症になったのは彼のせいだと言い切ってましたから。鬱病は感染る、だそうです。通ってた看護学校の副校長はもっとすごいこと言いました。「朱に交われば赤くなる。あなたの付き合ってる人が悪いんです。どうですか、私に、もう付きあわないって約束できますね?」 アホウでしょう? アホウですね。今でも思い出すと腸が煮えくりかえります。こういう人間に看護を教わってたなんて、裏切られた気持ちがしました。ま、途中でやめちゃったけどね、学校。
でも、彼がいたからなんとかやって来れた。
向こうもそうだと思います。
私の親が私を恥じたことで、アホウに「朱に交われば赤くなる」と言われたことで、私の中でタブーが出来ました。
「精神的な弱さを見せると、相手はこちらから距離を置く。そしてその距離は縮まらない。そしてそれはサベツの感情だ」
これは奇妙な頑固さで私を縛ります。
それから抜け出すための、リハビリ。
もう10数年経つのに、いまだ私を捕えて離さない、自分の中の禁忌からのリハビリ。
私が夫のことを書くのは、私のイライラ解消でもあるのですが、私自身、今まで誰にも話せずにいた感情や、苦しみから逃れるための、試行錯誤のひとつです。今までそう言う解放を試みたことすらありませんでした。ちらちらと匂わすくらいはしましたが、その後いつも後悔していました。
夫の鬱のパターンと、私の神経症のパターンはまるで違います。
だから、お互いに理解出来ない部分がとても多い。
その、理解出来ないところにイライラするのです。なんでそう言う考えになるわけ? とか。夫もそうでしょう。なんでそうなっちゃうわけ、と常に思ってることでしょう。
理解出来なくて、思考パターンが違ってて、お互い「まったく」と思ってるから続くんでしょうけどね。
リンクして下さった朔夜さん、ヒダリミミさん、ありがとうございます。
「こういうことを話しても大丈夫そうだと思った人に、重い話をしてしまって、後で『ああー、あんな話してしまってきっと嫌われた』と繰り返し後悔する自分」のリハビリです。
私は20代の前半に、ひどく精神的に不安定になり、その頃通っていた看護学校のスクールカウンセリングで、「ここではあなたの苦しみをとってあげられないから、専門のところに行きなさい」と言われ、神経科に通うようになりました。
その頃の診断名は「不安神経症」。
今ならば、パニック障害とか診断されるような症状もありましたが、とにかく不安で不安で、いつもなにかにおびえていました。
人の目が恐い。
人の流れが恐い。
遠くを走る救急車のサイレンに不安をかきたてられていても立ってもいられなくなる。
眠れない。
喉がいつもなにかに締めつけられるような気がする。
カウンセリングと投薬を受けていましたが、親が私をとてもとても恥じて、私はものすごい劣等感も抱くことになりました。
苦しかった。
孤独で、そして本当に苦しかった。
10数年前、インターネットやもっと他の人と交流を持てる場所があれば、私の治りはもっと早かったかもしれない。でも、パソコンすら一般的ではありませんでした。
だから、本当に楽になるまで、5年以上かかりました。
私が不安定になりかけた頃に、今の夫と出会いました。
鬱病と不安神経症のカップル。周りから見たらもう、薄氷の上を歩いているようで、危なっかしくてたまらなかったでしょう。
親なんか、大反対、私が不安神経症になったのは彼のせいだと言い切ってましたから。鬱病は感染る、だそうです。通ってた看護学校の副校長はもっとすごいこと言いました。「朱に交われば赤くなる。あなたの付き合ってる人が悪いんです。どうですか、私に、もう付きあわないって約束できますね?」 アホウでしょう? アホウですね。今でも思い出すと腸が煮えくりかえります。こういう人間に看護を教わってたなんて、裏切られた気持ちがしました。ま、途中でやめちゃったけどね、学校。
でも、彼がいたからなんとかやって来れた。
向こうもそうだと思います。
私の親が私を恥じたことで、アホウに「朱に交われば赤くなる」と言われたことで、私の中でタブーが出来ました。
「精神的な弱さを見せると、相手はこちらから距離を置く。そしてその距離は縮まらない。そしてそれはサベツの感情だ」
これは奇妙な頑固さで私を縛ります。
それから抜け出すための、リハビリ。
もう10数年経つのに、いまだ私を捕えて離さない、自分の中の禁忌からのリハビリ。
私が夫のことを書くのは、私のイライラ解消でもあるのですが、私自身、今まで誰にも話せずにいた感情や、苦しみから逃れるための、試行錯誤のひとつです。今までそう言う解放を試みたことすらありませんでした。ちらちらと匂わすくらいはしましたが、その後いつも後悔していました。
夫の鬱のパターンと、私の神経症のパターンはまるで違います。
だから、お互いに理解出来ない部分がとても多い。
その、理解出来ないところにイライラするのです。なんでそう言う考えになるわけ? とか。夫もそうでしょう。なんでそうなっちゃうわけ、と常に思ってることでしょう。
理解出来なくて、思考パターンが違ってて、お互い「まったく」と思ってるから続くんでしょうけどね。
リンクして下さった朔夜さん、ヒダリミミさん、ありがとうございます。
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